親に敷かれたレールを走るだけ!そんな人生を歩んだ私の子育て論

子供にとって家庭環境ってとても大事です。親が違うと子供の人生も大きく変わってくると思います。

子供は生活力がなく、親がダメといえばやりたいことも諦めるしかありません。私もそんな子供の1人でした。

私は自分の人生を振り返った時、自分は誰の人生を生きているたんだろうと虚しく思うことが多々あります。

そんな私の失敗人生を赤裸々に紹介します。現在子育てをしている親御さん、親子関係で悩んでいる方に微小でも参考になれば嬉しいです。

1:幼少期

私の両親は昔から他人からどう見られているかを異常に気にしていました。

元々そういう気質だった上、家は当時コンビニもないような田舎で、父は銀行員、母は公務員といわゆるお堅い職業が拍車をかけたのかもしれません。

小学校でのテストは90点以上でなければいけません。80点だと、「あと少し頑張ったら100点取れていたのに。」と言われ、70点でも褒められている友達をとても羨ましがったものです。

かといって、家で親が勉強をみてくれるわけではなく毎日やりたくもない塾や習い事三昧でした。嫌々ながらも抵抗する力はなく、成績自体は常にトップでした。

私は父に、「他人にできて自分にできないことはない。」とよく言われました。苦手なものがあるということを認めてもらえません。

水泳が不得意だとわかるとすぐにスイミングを習わせられました。

泳げるようになると、「このように努力すれば何でもできるんだ。」と基本的にできることが当たり前というのが言葉の端々に感じられました。

何をするにも親からどう思われるかが1番で異常に他人の目を気にする子供だったと思います。

私はどんどん内気になり、自分の意見を言うことや、自分で物事を決めることが苦手になりました。言われたことをやる方が気が楽なのです。

ですが、両親はそんな私を「積極性が足りない。学校でもっと喋るようにしなさい。」と怒られ、一体何をすれば正解なのかが常にわからなかった気がします。

2:中学生時代

状況は変わらず私は中学生になりました。相変わらず積極性はなく、地味で目立たない生徒でした。相変わらず成績は良かったですが特に楽しい思い出はありません。

中学2年生になり、高校進学について具体的に決めなければならない時期に差し掛かりました。私は幼少期から看護師に憧れがあったので、看護科のある高校を受験したいと思っていました。

親に相談する前に先生に相談すると、看護科のオープンスクールがあるので行ってみてはとのこと。

親の署名がいるのでその旨を伝えると、「看護科はだめだ、行く必要がない」と一蹴。理由は、「看護師は病気をもらうこともあるし激務だから」。

それでもどうしても行きたかった私は勝手に署名をし、親に黙って行きました。

オープンスクールに行くとますます看護師になりたいという思いは強くなり、高校3年生になって改めて看護科に行かせて欲しいと頼みました。

しかし、答えはNO!挙げ句の果てに、「看護科ならお金は出さない」とのこと。生活力のない中学生が抵抗できるはずがありません。

私は泣く泣く親の希望する進学校へ進みました。

3:高校時代

親の希望は安定している教師でした。「先生」とみんなから呼ばれて一目置かれる娘を持つ親になりたかったのでしょう。

「大学に行って教員免許を取りなさい!」私は勉強はできましたが、決して勉強が好きだったわけではありません。

ましてや喋ることが好きではなかったので、子供に勉強を教える仕事なんて全くやりたくありませんでした。

しかし、以前の高校受験のことがあるので私は無気力になっていて半ばどうでもいいわと諦めていました。とにかくこの親から離れたい。

親から遠く離れた地で自由に生活したい。そのために大学に行こうと決めました。ですので、教員免許の取れる家から遠く離れた適当な大学を選び受験し合格しました。

4:大学時代

大学生になり、親のいない1人暮らし。1番楽しかった思い出です。毎日、「家に帰っているか?」と確認の電話がありましたが、嘘をついて安心させていました。

講義もサボって遊びまくっていました。もともとやりたくもない分野の勉強ですので大学には遊びに行っていたといっても過言ではありません。

なんとか教員免許も取れ、卒業の時期が近づいてきました。卒業したら絶対に家に帰って来て地元で教員として働くことを強要してきました。

泣いて抵抗しましたが、「大学と一人暮らしにかかったお金を全部返せ!」と言われ無駄でした。泣く泣く地元に帰ることになり、またあの苦しい生活が戻るのかと落胆したものです。

反抗すれば良いと思われると思いますが、あの手この手を尽くして圧力をかけてくるので気力がなくなるのです。

また、私はは一人っ子だったため、どこかで私が親の面倒をみなければという思いがあってさらに抵抗できませんではさた。実際にそのように洗脳されていましたし。

5:そして大人になった私

そんなこんなで地元に帰り、親に言われるまま教員採用試験を受けます。しかし、真面目に勉強していないので受かりませんでした。

ささやかな反抗でその後何度も勉強せずに受験して落ちました。しかし、親が動き、知り合いのツテで高校の常勤講師の仕事をもってきました。

何度も言いますが、我が家は子供に人権はありません。なので仕方なくそこで講師として働くことになりました。

毎日教壇に立つのが苦痛でした。先生とのコミュニケーションも毎日の部活も本当につらかったです。3年間働きましたが、自分の能力不足と不甲斐なさに苦しんだ3年間でした。

とにかく自分で決めるということをしなかった人生ですから、講師の任期が終了した後やりたいことが見つからず、適当に仕事を決めました。

学生時代から大人になっても常に思っていたことは、「私は一体誰の人生を生きたのだろう。私はどうして自分の人生を生きることができないのだろう。」ということです。

私はこのように受験、就職、人生の大事な部分を失敗してしまったのです。

【教訓】こんな私の人生だったからこそ分かる!ぶれない子育ての方針

私は現在結婚して嫁に行き、2人の子供を育てています。夫は両親とは正反対の楽しく自由な性格です。

私は親との確執や、人生の大事な時を失敗したことを夫に話し、子供の気持ちを尊重した子育てをしようと決めました。

自営で家計が苦しいので、多くの習い事はさせられませんので、子供が本当にやりたいと思ったことを1つ習わせることにしました。

うちの子は2人とも音楽が大好きで、ピアノがしたいと言うので習わせています。汚れるのも気にせず思いっきり遊ばせます。テストで悪い点を取っても笑って報告してくれます。

「他人ができて、自分にできないことはない。」と言われて育った私は、今子供に「他人にはできて自分にはできないことがある。

でも、他人にはできないけど自分にしかできないことがある。」と言っています。

私の失敗談も沢山話しています。わたしが失敗してきたからこそできることだから、今となっては大いに意味があったのだと思います。

私も30半ばでやりたいことが見つかりました。障害児の療育です。今は資格を取るために学校へ行っています。結婚してからやっと私は自分の人生を生きていることを実感しています。

やりたいことをやりたいと言う勇気、自分の気持ちを自分自身が認めること、こういった昔の私になかったものを我が子に伝えていきたいと思っています。

また、決めてあげる、何でもやってあげるのが親ではなく、自分の人生を子供に押し付けてはいけないということを身に刻み、子供の気持ちを尊重して育てていくことが親の使命だと思います。

正しい人生よりも楽しい人生が送れるようにするのが親の役割ですよね。

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